走りながら、食べて、聞いて、考えて!

Smile Running Project に賛同しています。


私は、Smile Running Project
に賛同し、マラソン大会に参加する際は、笑顔で走り、走ることの楽しさを広めることを誓います。また、このキャンペーンをとおして、自分自身もさらにマラソンの楽しさを認識できるよう努めたいと思います。この主旨にご賛同いただける方はぜひ、このプロジェクトロゴマークを掲出していただくようお願いします!


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40年

私が生まれた町は、福島県郡山市。
東京の大学に受かって、東京に出るまでずっと郡山市で過ごした。
住んでいた家は、NHK郡山放送局がある麓山公園の近くだった。荒池公園という池が近所にあり、夕暮れになるとコウモリが飛び交うようなそんなところだった。
小学校も、中学校も徒歩で通ったが、とても遠く感じたし、荒池自体、ぐるっと一周するのはまさに冒険だった。
高校には自転車で通学。坂道のアップダウンがキツくて夏は汗びっしょり、冬はツルツルの路面にハラハラしながら通った。
たまに、悪友と駅前の喫茶店やデパートで悪さをすることもよくあった。

そして、あれから40年。
住み慣れた家は売られて、両親は新しい家を建てて引っ越したが、その家には大学の時に夏休みで帰るくらいでほとんど記憶にない。

そして、兄が土浦の病院に勤めはじめて両親も土浦に引っ越し家も売られた。

だから、今や郡山に私の帰る場所は無い。

ただ、気になっていたのは、18年間過ごした昔の家がGoogleストリートビューでみると、なんと当時のまま残っていた。

いつか、その家があるうちに訪れてみたい。そんなことで、今回、郡山に行くことにした。(家族旅行としては、磐梯山のリゾートホテルに行く目的だったが、少し早めに出かけて、その家を見てみたかった)

そして、果たしてその家は

まだ、あった。

少なくとも、あの当時のままの形は残していた。

自分の勉強部屋も、玄関も、トイレの窓も…。

もう誰も住んでいないみたいだったけど。

そして、けっこう驚いたのは、その家が駅からも決して遠くはなく、小学校も、中学校も、近くにあり、ましてや、荒池公園はとても小さい公園だった。クルマだったからかもしれないが、あんなに冒険だった荒池公園一周は、あっという間に終わる距離だった。

当時の距離感やモノの大きさとか、感じたこと全てが、今の現実ではあまりにも小さかった。

不思議な感覚。


そんな郡山を後にして、磐梯山へ。

磐梯山は大きかった。
猪苗代湖もデカかった。



本日、梅雨明けラン(後半)急激な暑さに、バテバテ(//∇//)それでも、横浜は港からの...

本日、梅雨明けラン(前半)心地よい風で気持ちよく( ̄▽ ̄)

蒸し暑い電車の中


鬱陶しい季節になってしまいましたね。
特に、震災直後のこの蒸し暑さに、関西大阪北部の皆さん、本当に辛い状況かと思います。
以前、熊本の震災直後も大雨になったり、本当に自然の悪戯を恨みたくなります。

そういう自分も、隠岐の島ウルトラマラソンから、二週間になろうとしますが。この前の日曜日に30kmほど走れただけで、あとは全く走れない日々を過ごしております。

朝、早起きして走りたいところですが、不眠症もあり、なかなか朝からエンジンがかけられない状況です。いや、思い切って、眠らなくても朝走れば、逆に不眠症が改善するのかもしれませんが、眠れない恐怖心から、なかなか思い切れないですね。

今日、帰宅の蒸し暑い電車の中、前は髪の長い女性。後ろに腹の出ているおじさんに挟まれ、最悪の気分でした。

蒸し暑い満員電車の中では、長い髪は束ねて結んで欲しいのです。半袖の腕にチクチク当たって気持ち悪くて。

そして、病気なら致し方ないのですが、やはりお腹はもっとスリムにして欲しいですね。

たぶん、多くの人がダイエットのためには有酸素運動がいちばん効果的だとわかっているはずなのですが、なぜ、行動に移せないか?なぜ、続かないか?ということですが、単純に根性がないとかそういう理由だけではないと思います。

ひとつは、最初から苦しくて辛くて続かないレベルの負荷の運動量から始めてしまうからでしょう。
あと、もうひとつは、続けたいと思うレベルまでの経験に到達してないからだと思います。

マラソンやウルトラマラソンを続けてしまう人たちは、最初から長い距離を走れたわけでもないですし、走っている時の苦しさ以上の達成感など、あの感動を体感しているからなのだと思います。

まずは、1km。いや、5分や10分からでもはじめ、10回ほど続けてしまえば、少しずつ距離や時間を長くして、いいスパイラルになるのですが。

お腹の出っ張り。
3か月で効果あるんですけどね。

あと、一緒に走る仲間ができると、続きやすいですよね。

なんとか、仕事を早く片付け、走りたいなぁと、このところ毎日思っています。

暑いのに。

梅雨の中休み


24日は、午前中は時々雨。
午後から晴れて暑くなりました。
でも、日曜日は空気の温度は低めで涼しく過ごせたのですが、
25日、月曜日は一気に熱せられたようなお天気。
いきなり30℃超え。
また、この蒸し暑い夏がやってきます。

久々の投稿「第13回 隠岐の島ウルトラマラソン」

久々の投稿です。

最近、ほとんどFacebookばかりで、ブログ投稿をすることがなくなってしまいましたが、やはり長い記事や自分の主おいでや記録を残すのは、ブログのほうが良いかもしれません。

面倒なので、スマホから投稿しようとしたら、アメブロのIDもパスワードも忘れていて焦りましたが、なんとかMacbookには記録が残っていてラッキー。

さて、前置きはこおくらいとして。

 

「第13回隠岐の島ウルトラマラソン」は、自分にとっては、11回めの隠岐の島、そして10回めの完走狙いということでした。一週遅れの今日、北海道道東で開催されている「サロマ湖ウルトラマラソン」だったら、まさにサロマンブルーということでしょう。でも、公認のコースでもないので、そんな価値?があるわけではないかもしれませんが、それでも、やっぱり10回完走したってことは飽きっぽい自分が、よく続いたものだと深く関心してしまいます。

 

まずは、今までの記録一覧(Facebookにも記録しておりますが)

 

第3回 12:05:45 51/172
第4回 11:57:37 51/202
第5回 12:19:50 80/234
第6回 13:48:28 193/271
第7回 04:28:38 183(記録は40km地点リタイア)
第8回 11:04:05 43/267
第9回 11:23:30 54/281
第10回 10:44:03 58/404
第11回 11:17:00 68/345
第12回 12:55:25 152/316
第13回 11:52:05 84/451

 

結局、なかなか10時間を切ることや、10時間台になるのも難しい自分の体力と、このコース。

11時間台で走れればよかったほうかもしれません。

それにしても第三回のときから約3倍の参加者になったことに驚きます。

 

さて、

今回は、春に転倒し顔面骨折したこともあり、練習は不十分。

春から50km以上を走ったのは、3回くらいで仕事も忙しく十分な準備はできませんでしたが、自分の体調を考えてレース時点での体力温存をよく考えて臨みました。

 

ポイントは、早めにエネルギー補給。それもよく力胃に負担の少ないジェル系。

それと、胃を極力揺らさない上下運動を抑えた動き。

そして、上りでは積極的に歩きを入れ下りは抑えめに走ること。

 

この3つを踏まえ、準備したのは、ハニースティンガー5〜6本(前半10km毎に補給)

応援で妻が待っていてくれる3つのポイントでのレッドブル補給と、ジェル補給。

あと、胃薬の適宜投与。

これで、前半はかなり疲れが出ませんでした。

 

前半もアップダウンのあるコースですが、上りでは競歩のような歩きを入れて無理せず上ることで体力消耗も抑えられました。

スタートしてから5時間ちょうどに、48kmの中間レストに到着し、かなり余裕がありました。

ただ、やはり相変わらず固形物を口に入れるのは難しく、中間レストでもカレーを3口ほどしか食べられず。

 

そして、後半。

コースが一部変わり、後半からいきなりのダラダラ坂もあり気が滅入りましたが、なんとか60km近くまでは走りきり、本格的な後半の上りが続く、60km地点から歩きはじめました。

トンネルと下りでは走り、上りでは歩くことで、なんとかペースも大きく落とさず65kmあたりで、11時半スタートの50kmの部に参加の川内選手に、今年もしっかり抜いてもらいました。(昨年は54kmあたりだった)

 

後半は、大きく3つほどの山がありますが、そういう記憶がしっかりあるので精神的には楽でした。

かなり暑くもなりましたが、時おり心地いい風も吹き、さらに基本的にフラットなトンネルではひんやりとしていて走る元気もありました。

 

3つ目の山もようやく終えると、ほぼ完走を確信できる中里のバス停のエイド。

ここで、いつも妻がお世話になっている地元の方々に挨拶をして、そして最後のレッドブルを投入しのこり約20km。

ただ、ここからが精神的につらいダラダラの農道を抜け、そして暑い海岸線。

 

ただ、80km過ぎにオロナミンC をおいてくれる私設エイドがあり元気をもらいました。

また、のこり15km過ぎでも、レッドブルもおいてありここでもさらにパワーをいただきました。

そして、のこり10kmのエイドで、応援のお手紙をいただいた小学生の女の子に会うことができました。

エイドボランティアしていたお父さんとお子さんが見つけてくれて一緒に写真も取りました。

こんな元気を貰えると残り10kmなんて、楽々・・・というわけには行かず、今年もやっぱり飛行場の坂道は歩きました。

 

そして、のこり2kmの赤い橋からはずっと残りの力を振り絞り走り切り、最後のトンネル、最後の坂道をのぼり、妻と手をつなぎ、元気なMCの応援メッセージをもらいながらのゴール!

 

今年も最高の隠岐の島でした。

 

やっと、10回。

 

来年も、きっとエントリーして走るでしょう。

 

いつの間にか、走り出して初めてのウルトラマラソンが、自分のライフワークみたいになってしまいました。

 

隠岐の島のコースは辛いけれども、でも、美しい自然がいっぱいで、おまけにサポートや応援が素晴らしく、どうも麻薬のようなものがあるようです。

 

最後に、忘れないように。

シューズは1サイズ大きめを。今年も黒爪6本、やりました。

 

今日は気持ちいい一日でした。気候的には…( ̄▽ ̄)4月26日、良い風呂の日でした( ̄▽ ̄)

トイレの花こさん( ̄▽ ̄)

3日前は、春でしたヽ(´o`;

春間近

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